巻頭言「完全な平和な世界(天)を望み見て」
田中文人
「雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。」
イザヤ書11章7~9節
この聖句は預言者イザヤが紀元前700年代に語り伝えた神様からのみことばです。「その日」が来ると完全な平和が実現します。草食獣が肉食獣に食べられることもなく、幼子が毒蛇から害を受けることもありません。アダムとエバが善悪の知識の木から取って食べる前のエデンの園に回復する世界です。
このような世界が実現する約束を聖書から知るとき、どのように思うでしょうか?「フト」自分の周りや日本社会、さらに世界に目を向けると「はたしてそのような完全で平和な世界が到来するのだろうか?」と思うかも知れません。確かに日常生活では人それぞれに労苦があります。社会にも多くの課題があり、以前はあまり見聞きしなかったような事件・事故のニュースも絶えません。さらに世界では争いや戦いも、なお続いています。これらの状況を最大限客観的に把握する必要はあります。ですが、現実に目を向け過ぎるならば生きる希望も失うことになりかねません。大切なことは、この後世界はどこに向かっていくのかを聖書から知らされ、そこを望み見ることです。その「どこに」が完全で平和な世界です。
とはいっても、「でも…」と言いたくなるかも知れません。そこで聞き取りたいことは、『神様が告げられることは間違いなく実現する』ということです。同じイザヤ書11章1節には、「エッサイの根株から新芽が生え、…」とあります。これは、救い主イエス様がダビデの家系からお生まれになることの預言です。イザヤがこの預言を語った時の南ユダは、北方の国々から攻め込まれようとしていました。主の民でありながら、国も一人一人も神様から離れ、イザヤはじめ預言者たちが語っていた悔い改めの招きのみことばに聞こうとしていなかったのです。ですから国も民の生活も乱れ、平和からは掛け離れた状況でした。その中で語られた神様からのみことばが完全な平和な世界が来る約束です。この預言から約700年後、実際にイエス様は処女マリアの胎を通って来られ救いの御業を実現し、神様と人、人と人との関係を回復する道を差し出してくださいました。また、イスラエルの民の先祖の歴史を振り返っても、神様が告げられたことは全部実現しています。そこで、まだ実現していない聖書のみことばもこれから確実に「起こる」と信じ信頼して間違いありません。
この11章で語られている「その日」は、イザヤの時代には救い主イエス様が来られる「時」、今の私たちにとってはイエス様がもう一度来られる再臨の「時」と受け止めてよいでしょう。再臨の前後に起こることについては、教団・教派によって受け止め方が異なるかと思いますが、イエス様が再臨され完全な天にこの世がつくりかえられる日が来ることは確かです。そうであれば、私たちはどのような生き方を願い出たらよいのでしょうか?
それは、イエス・キリスト救い主の元に来ることです。イザヤ11章10節以下に、その日に、イエス様が「民の旗として立」たれ、そこに世界各地から人々が集められるとあります。私たちがイエス様の旗の下に来ること、それは自分の罪を認めて十字架の血による赦しをいただき、イエス様が死者の中から復活された事実を信じて永遠のいのちの約束に与ることです。また、毎日聖書の聖句につながり、留まり続け、内側がみことばで満され、知らされる神の国の原則に聖霊の助けをいただいて生かされることです。
詩篇1篇2~3節には「主のおしえを喜びとし/昼も夜もその教えを口ずさむ人。/その人は…時が来ると実を結び/その葉は枯れず…」とあります。労苦が多く、課題も尽きない罪のこの世にあっても日々聖句に魂が養われ生かされているならば、御霊の実を結び、輝いて生きていくことが出来ます。
聖書の聖句につながり、留まり続け、口ずさむことであれば、年を重ね身体が動き難くなっても神様から知恵と工夫をいただきながら続けられるのではないでしょうか?私たち視覚障害者にも可能です。現代的な聖書解釈を追い求めるのではなく、聖書のみことばそのものを口ずさみ完全な天に向かってともに一歩一歩進み続けていく信仰の歩みこそが「聖書信仰」ではないでしょうか?
「すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。それは、…曲った邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」
ピリピ人への手紙2章14~16節